その男は「作らない」—。 中川周士という木工芸家とは
KUROKOHAKUの木箱をある木工芸家に依頼した。その材料となるのは、もちろん白鷹産の天然杉だ。
快く承諾してくれた彼に、どんなものを作ろうと考えているのかと聞くと、こんな思いがけない返事が帰ってきたのだ。
「極力なにもしません」
当初そのコンセプトを耳にした時、私たちは一瞬耳を疑っが、次の瞬間その意図を理解した。白鷹産の杉の原木を介して、白鷹の自然、その一端をこの箱に表出させようと企んだのだ。
「原木を見つめ、対話し、そこに木箱としての作品の道筋がみえたとき刃を入れ、切り分ける。それ以上は手を加えません。」


自然のまま、息をしている、生きている木箱を創る—。それは、白鷹というテロワールを体現するKUROKOHAKUに、この上なくふさわしいものができると確信した。
この木工芸家の名は、中川周士(しゅうじ)氏。京都と滋賀を拠点とする「中川木工芸」の3代目だ。鎌倉時代から室町時代にかけて、日本で使われる様になった木桶の伝統を、今の時代に受け継ぐ名工の末裔である。

中川木工芸の作品は、「桶指物の極み」と言われるほど高い評価を受けているが、近年には伝統的な木製品に留まらず、革新的なアレンジを試みた作品も次々と発表している。
2010年には、ドンペリニヨンのオファーにより、同社公式シャンパンクーラーを制作。2015年に製作した神代杉KI-OKEスツールは、英国ロンドンV&A美術館のパーマネントコレクションに認定されるなど、世界的にも注目が集まる木工芸家のひとりだ。
その中川氏が標榜したのは、前述の通り「極力なにもしない」、即ち、箱という役割を果たしながらも極限まで自然の姿を保った、神々しくも荒々しい杉の箱だ。当然、どれひとつとして同じものがない、そのどれもがオリジナルといえるものとなる。
「他の何とも異なる唯一無二のもの。切り出した原木一つひとつの個性と向き合う中で、本来、人一人ひとりもそういうものであったということ— そして、手にする人が自分自身を見つめる契機となる体験になれば」と、氏は語る。
では、どうやってその様な箱を作るのか。否、「作ってはいけないのだろう。生み出す、姿を表すといった表現が適切なのか。それは一体どの様な行為なのか。
「望んだ形に近づけようとはしないんですよ。イメージしてしまうと、それを探しに行ってしまい作為的な姿になってしまう」。
望んではいけない。目指してはいけない—。その言葉の意味するとこを理解することはできるが、長年自然と向き合い続けた眼差しをもつ者でなければ、実感をもって真意をは掴むことはできない。
「木が何を与えようとするか感覚を澄ますのです。それに問い返し、今度は木がどの様に応えてくれるのか。そんな問答を繰り返す中で、自然が導くカタチに近づいていくんです」。

その出会いは、決していつもあるものでもないという。それは効率化、平均化ばかりが先行する現代のアンチテーゼとなるような作業。今回の取り組みについて、氏は、「化石を掘っているような作業だった」と続けた。
そのポテンシャルも特筆すべきものだ。白鷹に自生している天然杉は、一般的な杉の3倍もの重さがあり、非常に硬い木質を持つため加工には向かず、伐採されてこなかった杉だ。それゆえに、長らく白鷹の空気を吸い、大地の力を蓄えてきた原木には、圧倒的な力が秘められているという。
白鷹の刻を見つめてきた一つひとつの木の中にある形を、創造しながらカタチを生み出していく。
そこに現れた姿は、自然への畏怖と畏敬が欠如した世界へのある問いかけとも言えるのではないか。そしてそこに表れた作品は、もはや神の器としての「依り代」だ。
箱という機能を超えて、KUROKOHAKUに大地の息吹を与えている杉の木の存在感たるや、それは、白鷹の自然そのものを体現する存在と言っても過言ではないだろう。