貴醸酒のプロトタイプを 現代で愉しめるという奇跡

貴醸酒のプロトタイプを 現代で愉しめるという奇跡 貴醸酒のプロトタイプを 現代で愉しめるという奇跡

白鷹の自然が、四季の中で幾重にも繰り返してきた胎動や育み、衰退そして再生といった大自然のうねり。その変化の中に長年身を委ねてきたKUROKOHAKU。その始まりは、国を挙げての酒造りであったことをご存知だろうか。

「国賓をもてなすのにふさわしい、最高級の日本酒を造ろう」。

1973年、当時の国税庁醸造試験所(現在の独立行政法人酒類総合研究所)の研究室長である佐藤信博士の提唱によって始まった、かつてない究極の日本酒造り。その、幾多の試行錯誤の果てに辿り着いたのが貴醸酒である。

日本酒の製法で、「三段仕込み」と呼ばれる行程の最後の仕込み「留仕込」で、一般的には水を使うところに、清酒を使用。コストも手間も時間もかかるが、濃厚で上品な甘みを醸す、新しい日本酒が誕生したのだ。

だが、この貴醸酒。ただ闇雲に新しさを追求したものではない。佐藤博士は、日本の古典をそのヒントを手にしている。

平安時代の古文書『延喜式(えんぎしき)』(927年)。当時の天皇、醍醐天皇の号令により綴られた、その時代の格式(今でいう法体系を広く定義したもの)をまとめたものだ。この古文書の一節に綴られているのが、宮内省造酒司による古代酒「しおり」の製法。その造り方こそ、まさに貴醸酒と同じ「日本酒による留仕込み」に近いものだったという。

佐藤博士の真意は、どこにも記されてはいない。しかし貴醸酒造りには、「古代の神聖な酒を、新たな姿で復活させる」という企みが、どこかにあったのではないだろうか。

貴醸酒の研究には、定評のある日本各地の11の酒蔵が協力している。無論、日本酒というものは、同じ造り方をしても蔵によって味が変わる。それは同じ原材料を使っていたとしても同じことだ。その蔵で生きている菌、それを含む空気、温度、さまざまな要素が味に影響を与えてくるのだ。日本各地の蔵に協力を依頼したという背景も、そこにあると考えるのが妥当だろう。

その中でも、日本で最初に貴醸酒を製造したと言われている男が、KUROKOHAKUを今の時代に導いた「加茂川酒造」の鈴木七四郎だ。当時の常識では考えられないほどのコストをかけて試行錯誤を重ね、新たな酒の最適解を導き出そうと試みていたのだ。

「加茂川酒造の貴醸酒」は、日本酒の新たな可能性として当時も評判を呼んだ。生みの親である七四郎は賞賛を浴び、本人も喜んだが、その多くを蔵の奥に貯蔵したまま、寿命を終えることとなってしまう。

忘れ形見である貴醸酒はその後、人の目につかぬまま蔵の奥で40年をも過ごした。そして、長き刻を帯びた貴醸酒は、圧倒的な味わいを醸して再び人々の前に姿を現したのである。

「これは……」

高貴にして甘潤な味が口いっぱいに広がる—。そして豊かにして精錬された後味。考えられないが、およそ40年後に蔵の奥深くで発見された七四郎の貴醸酒は、長い時を経て飲み頃を迎えていたのだ。

まるで作り話の様な話である。だが、この「事件」は、まごうことなき現実だ。七四郎の貴醸酒は、その後、偶然出品することになった世界規模のワインコンペティションでも、いきなり最高賞を戴冠する。

「この奇跡の酒は、白鷹という土地と長い時間が造り出した、人がコントロールして造ることはできない酒だ」と、評されたKUROKOHAKU。

人智をもって計ることのできない、唯一無二の酒。貴醸酒のプロトタイプ、そのファーストロットといえる貴醸酒。

無論、同時期に造られた他の貴醸酒はもうどこにも見当たらない。そして残念なことに七四郎は仕込みの手順をすべて自らの頭の中に残し、明文化していない。

今、奇跡の味を広く愛好家の皆様に味わってもらうべく、最高の飲み頃である、現在の状態を厳密に管理する保管庫にKUROKOHAKUは眠っている。時代を超えてこの奇跡を愉しめるのは、現存するKUROKOHAKUをおいて他にないだろう。

数十年物の貴醸酒の古酒は、これからも世に現れるかもしれない。しかし、貴醸酒として世に発表される前に醸造されたものが現れることはもう二度とないのだ。その奇跡を手にできる「今」を、未来の飲み手は羨むかもしれない。

時代の中で変わり続けるもの、残り続けるもの、両方を内包している過去と未来を見つめる奇跡の酒の姿を愉しんでみてはいかがだろうか。