白鷹が誇る特漉き和紙 「深山和紙」が語ること

白鷹が誇る特漉き和紙 「深山和紙」が語ること 白鷹が誇る特漉き和紙 「深山和紙」が語ること

古くから、日本で人々に親しまれている「手漉き和紙」。独特の風合いもさることながら、手作業で「漉く」ことを通して、繊維を幾重にも重ねる和紙は、その強靭さも特徴。「1000年は持つ」ともいわれ、世界中の文化財の修繕にも活用されている。

KUROKOHAKUの木箱の中で、貴醸酒がまとう柔らかな和紙もまた、歴史的に高く評価されてきたものである。

その産地は、白鷹町北部に位置する深山(みやま)地区。この地名を冠した手漉き和紙である「深山和紙」は、強靭でありながらしなやか。温かな風合いで、手に取るものに穏やかなインスピレーションを与える和紙だ。

その始まりは、全国各地で武将がしのぎを削っていた、戦国時代こと室町時代。およそ450年以上も前ということになる。

深山和紙の品質は、当時からすでに高く評価されており、この辺り一体を治めていた米沢藩上杉家に文書を通達するための御用紙として用いられていたとか。17世紀の古文書を紐解くと、江戸時代には幕府に納めるための「特漉きの紙」として、重宝されていたという記録もある。

紙として美しいだけではない。他に類を見ない強靱さも合わせ持つことも、御用紙として文書の伝達に活用するのにふさわしかったのでは、と言われている。

なぜ、この地に紙漉きの文化が根付いたのだろうか。それは、豪雪地帯において、冬場の家計を支える生産活動が必要だった事が発端だ。材料に使われている楮(こうぞ)は、寒冷地での栽培が可能であり、安定して材料を調達することが可能だったことは容易に想像できる。

そしてこの白鷹の地が、良質な楮を育てるのに適した「作物を鍛える寒暖差の激しい気候」「豊かな土壌」「良質の湧き水」を携えていたことも忘れてはならない。

深山和紙の原材料は、この楮のみ。しかも外側の鬼皮、甘皮を剥いた「白皮」と呼ばれる部分のみを使用するため、1本の木からごくわずかしか生産することができないのだ。そんな贅沢な素材をふんだんに使って、丁寧に漉き上げるこだわりは、古くから変わることなく守られ続けているという。

特徴のひとつである、強靭さを生む技法も独特だ。深山で受け継がれている「十字漉き」という技法は、タテに漉いて、ヨコに漉いてを幾度となく繰り返す独特のもの。まるで織る様に漉くため、「紙というよりも織物に近い」とも言われている。

また、漉くための水に粘り気を与えるのに使用する植物「ノリウツギ」も、均一で高品質な和紙をつくるために欠かせない。古くから栽培が困難なことで有名な「ノリウツギ」は、他の和紙の産地ではあまり使用されていない。だが白鷹に限っては、そんなノリウツギが奇跡的に自生していたことから、積極的に取り入れられていたという。

昭和53年には、深山和紙の技法や品質の高さが改めて評価され、山形県の無形文化財に指定された。しかし使い勝手の良い洋紙が行き渡っていた当時、すでに需要は激減。職人の高齢化なども手伝って、深山和紙は衰退の一途を辿っていた。

現在、深山地区で和紙作りを継承する和紙農家はただ1軒のみ。町では、この伝統を継承するための拠点を設立したほか、耕作放棄地を活用して材料の楮を植樹するなど、次の時代にこの類い稀な技術を継承していくために、力を注いでいる。

作物を豊かに育む土壌、良質の湧き水が材料となる楮を毎年育んできた。そして漉き職人らが切磋琢磨しながら、良質の和紙を漉き上げたその技を、400年以上経た白鷹の地でも伝承を途絶えさせまいという人々がいる——。

この地で自然から受け取ったものを、価値あるものへとする智慧と技術を、後世に伝えんとする——。貴醸酒を柔らかに包む深山和紙の温もりからは、そんな気概を受け取らずにはいられない。

現在、白鷹の楮は希少価値が高くなったため、本来は一部の楮を他の産地にゆだねているが、今回KUROKOHAKUに採用された深山和紙は、100%白鷹産の楮を原材料とした特別仕様。

生粋の白鷹の自然を、存分に堪能してもらいたい。