SakeArtisanの視点で見た、 芸術作品というべき孤高の存在

SakeArtisanの視点で見た、 芸術作品というべき孤高の存在 SakeArtisanの視点で見た、 芸術作品というべき孤高の存在

芽生え育み、やがて朽ち、新たな生命へとめぐりを繰り返す大自然の営み。人間もそのうねりの中にある、極めて小さいながらもひとつの存在である。

この事実は、私たちが忘れてはならない摂理でありながらも、現代の人間が形づくる社会に立ち続けていると、つい失念しそうになってしまうものではないだろうか。

そんな時代の中にも、気づきや新たな視点を与え、一人ひとりの生き方に、社会に意識的に、無意識的に作用するものを人は「芸術」と呼ぶ。

「KUROKOHAKU」は、そこにある自然と、息づく文化、巧みな技が重なり合い導き出された、白鷹町を舞台に起きたあるひとつの奇跡の姿である。

長き刻を経て、稀有なる美酒へと昇華した「貴醸酒」。

天然林から切り出した、荒々しくも荘厳な「木箱」。

厳寒の冬が鍛えた、優雅にして強靭な「和紙」。

そのKUROKOHAKUと対峙する体験の中で感じるのは、圧倒的な存在感。それは、理屈を超えた自然が生み出した化身だ。決して一朝一夕に醸すことができるものではない。白鷹町が積み重ねてきた年月こそが、その魅力を形づくる大きなエッセンスとなってそこに表出している。

例えばその貴醸酒は、50年近くもの間、酒蔵で眠り続けていた末に、いま他にない芳醇な味わいと薫りを醸す唯一無二の酒として存在している。

その酒の原材料となる、良質な湧き水や米、酒蔵に息づく菌など、奇跡的な巡り合いの秘密をどこまでも紐解いていくとするなら、行き着くのは、白鷹の地に豊かな土壌を与えた100万年前の白鷹山の火山活動だ。

人の寿命をはるかに超えた歴史の向こう側からやってきた自然が生み出した姿と、触れあう—。そして偶然にも、そんな白鷹で同じ刻を過ごし、人の手を介して巡り合った酒と天然杉と和紙の物語。それがKUROKOHAKUだ。

もしすでに湧き水が枯れてしまっていたら、もし、米が不作だったら、過去に、その貴醸酒が売り切れてしまっていたら、今ここに存在することはなかった貴醸酒。いや、大袈裟でもなく、蔵の中でもほんの少し違う場所に置いてあったら、今とは違う味の酒になっていたかもしれない。日本酒はそんな繊細さのうえに立つ芸術だ。

木箱という姿の中で自然を体現する天然杉の原木も、この時代に、白鷹の自然に鍛えられたからこそ、今の姿となり、圧倒的な薫りを放ち、木工家の中川周士氏の手によって、新たな姿を現した。

深山和紙は、後継者が途絶えそうになりつつある今も、白鷹の人々の努力によって、現在なんとか継承され続けているという境遇にある。

それらが今の時代に出会い、表出した白鷹の「ありのままの姿」は、今、この瞬間だからこそ形作られた営みであり、小さな人間の、策略も打算も入り込むスキがないだろう。

自然、偶然といった、「定かではないもの」に帰依することの中で、人は自身の本来の姿を見つめ直すことができる。

己にとって何が大事なのか、なぜその様に考えてきたのか。今いる位置を確認し、己はどういう未来を見つめるべきか、と。そして、時として「今の己は求めていた自分とは少し違うかもしれない」とも。

自然と対峙するなかで、なぜ人にそんな意識が芽生えるのか—。

それは、あなたも私も、人という人すべてが、皆同じように「自然」の一部だからではないだろうか。